2022年第104回全国高校野球選手権大会で仙台育英学園高等学校が優勝し、東北地方で初めての快挙となる優勝旗の白河の関越えを果たしました。白河の関越えとは言われていたけど、どこに何があるのかがよく分からなかったので、実際に訪れてその場所を調べに行ってみました。
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高校野球の優勝旗の「白河の関越え」で話題になる白河関跡とは?
高校野球で話題になる白河の関越えとは?
毎年夏に日本中が熱狂に包まれる全国高校野球選手権大会で、東北地方の高校が優勝旗を持って帰れるかの話題になると、必ず「白河の関」という言葉が使われることが多いのですが、2022年に行われた第104回全国高校野球選手権大会で宮城県の仙台育英学園高等学校が東北地方の高校で初めて優勝し、優勝旗を持ち帰る「白河の関越え」を果たすことができました。
東北地方の悲願だった白河の関超えが地元の高校生が果たしてくれたことをとても嬉しく思って感動してしまった日でしたね。
過去には北海道の駒澤大学付属苫小牧高校が初優勝して、東北地方以北の高校が優勝旗を持ち帰ったものの、飛行機での移動だった事から白河の関越えにあたらず、東北地方の高校が陸路で優勝旗を持ち帰った時のみカウントされる事になっているらしいです。
何故白河関なのかと言うと、これは憶測になってしまいますが、国道4号線や東北自動車道が通っている事やJR東北新幹線などの主要交通機関が通っている事が挙げられます。
日本海側の高校が優勝したら鼠ヶ関を通るかと言うと、伝統的に白河関ルートである東北新幹線と秋田・山形新幹線を通って来るのでしょう。
山形の高校が優勝したら鼠ヶ関超えをしてもらいたいものですけどね。
東北地方の高校が活躍をすると白河の関越えという言葉がよく使われますが、白河の関とはいったいどこ?というのが気になってしまっていたので、実際にその地に足を運んで調べてみる事にしました。
白河関跡の場所と役割
白河関跡は、現在の栃木県那須町と福島県白河市の県境から約2.5kmほどの距離にあります。
現在の山形県鶴岡市に位置する鼠ヶ関(ねずがせき)や福島県いわき市(場所については諸説あり)に位置する勿来関(なこそのせき)と共に、奥州三関の一つに数えられて現代の東北地方にあたる「みちのく(奥州)」の玄関口とされてきました。
設置された時期は定かにはなっておらず、承和2年(835年)の太政官符(類従三代格)にて、「旧記ヲ検スルニ剗(せき)ヲ置キテ以来、今ニ四百余歳」とある事から、5世紀頃には設置されていたと認識されているようです。
白河関は、ヤマト政権が北方の蝦夷に対抗するために建立した前線基地として役割を果たしておりましたが、後にヤマト政権が北進した事で軍事的役割は小さくなり、陸奥国との国境検問所という役割が残ったと言われております。
白河関跡の駐車場と案内図
白河関専用の駐車場には周辺案内図が設置されており、白河関から白河関の森公園までの施設が記されています。
トイレや10台ほどの車両が駐車可能な駐車スペースが設置されておりますが、割と乱雑に駐車される駐車場なので、車が心配な方は450メートル先にある白河関の森公園にある駐車場を利用するのがオススメです。
白河神社の社務所
白河関跡専用駐車場の向かい側には白河神社の社務所があり、お守り・授与品に加えて、東北の悲願であった白河越えを果たした仙台育英学園の優勝を記念した御朱印もありました。
東北地方全体で地元の高校が応援されるってのも嬉しい物がありますね。
白河関跡の入り口
白河関跡は駐車場から見て道路を挟んだ横断歩道を渡って行く事ができますが、割とスピードを出しやすい道路で見通しもそんなに良くないように見えていたので、渡る時は気を付けて欲しい。
特に子連れや高齢者などは、その点も踏まえて白河関の森公園にある駐車場を利用した方が良いのかな?とも思いました。
白河関への入り口ではありますが、全体が白河神社の境内にもなっているので、参道を通って緑豊かな自然に囲まれた石段を進みます。
石段の両脇に設置されている献灯篭がとても綺麗な場所です。
夏のお盆休みの真っ只中に訪問したため、この日も次々と観光客が訪れていました。
白河神社の拝殿
石段を登った先には白河神社の拝殿がありました。
成務5年(315年)頃に白河国造・鹽伊乃自直命(しほいのこじのあたい)を祀ったのが始まりとされており、平安時代には源義経が兄・頼朝の挙兵を知り鎌倉に向かう道中に詣で、境内の松に矢を立て勝利を祈願したと伝えられています。
白河関跡の役割を示す施設跡
白河関跡には、敵の侵入を防ぐために土を堤防のように盛り上げて作った土塁跡が残されており、攻撃や弾除けとしての軍事的役割を果たしていたとされる形跡も残されています。
白河関が役割を失った後に、廃れてから場所も分からなくなっていたそうですが、白河藩主の松平定信が寛政12年(1800年)に老人たちからの聞き取りや資料、地形などを調べて、この地を白河関と断定して古関蹟碑(こかんせきのひ)を建てております。
白河関跡の巨木・従二位の杉
鎌倉初期の歌人で「新古今和歌集」の選者の一人、藤原家隆が手植えしたとされる巨木は、従二位の杉(じゅにいのすぎ)と呼ばれ、樹齢は約800年ほど、幹回り60メートル、高さは50メートルに達しています。
白河関跡の桜
近隣の白河関の森公園と合わせて桜の花が咲くお花見スポットにもなっているらしいので、是非春になったら訪れてみたいものですね。
白河関跡 交通アクセス・詳細情報
所在地 | 〒961-0038 福島県白河市旗宿関ノ森 白河の関 |
時間 | 24時間 |
駐車場 | 無料 約10台ほど 白河関の森公園にも駐車場有 |
交通アクセス | JR東北本線 白河駅からバスで30分((または新白河駅から)白河関の森公園行き乗車 東北自動車道 那須高原スマートICから車で21分 東北自動車道 白河ICから車で17分 |
関連ウェブサイト | 福島県白河市ウェブサイト |
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